僕の吉祥寺昔話  4

その噂話・・・ちゃんと検証したわけではないのであくまで「噂話」としておくが・・・は僕が以前吉祥寺にあった実家で蕎麦屋「からまつ亭」を営業していたときに来ていたお客さんから聞いた話だ

その内容とは

「あの三鷹の北口に”八丁”ってあるでしょ あそこって昔は「赤線地帯」だったらしいですよ。昔は014あのあたりに娼館があって今も残ってる建物もあるし、飲み屋が林立していたのもその名残り・・・お稲荷さんも当時の遊女たちがお参りしていたのであそこにある・・・」と

ではなぜそんな都下のそれほど流行ってもいない町の一角にそんな地域があったのだ?

その人は続ける

「それはね、近くに”中島飛行機”があったからじゃないかな 大きなマーケットが後に控えていた・・・だからニーズがあったんでしょうね」

調べてみると「八丁」が発生したのは終戦後らしいので直接結びつけるのは難しいかと思った

でも、今でも三鷹駅の北部には「横河電機」や「TEAC」などの本社工場がある(TEAC本社は300040_000011_1_12007年に多摩市に移転) それもかなりの広さだ

ここらに大きな工場があるのは戦前にここに大きな工業エリアがあったことの名残だと思う

それが太平洋戦争が終わるまでこに地域に君臨していた巨大軍事企業「中島飛行機」だったのだ

では、その中島飛行機とはどんなものだったのか・・・

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