僕の吉祥寺昔話  5

僕が通っていた「武蔵野市立第一中学校」は戦後の昭和22年の春に武蔵野市では最初の中学104278_1_418_276_3校としてスタートした 武蔵野市の北西部 三鷹駅からほぼ真北にあり五日市街道に面した場所にあるその中学校にはこんな伝説が残っていた

「ここの第一期の入学生徒たち・・・彼らが入学して最初にやらされたことはグラウンドに空いた大きな穴を埋める作業だった それは戦時中アメリカ軍が落とした爆弾で空いた穴だったという

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この地域には終戦直後はあちこちにこういう爆撃の跡が残っていたそうで、そういえば僕が中学校に通っていた頃に何度も「戦争中の不発弾が発見された」というニュースがあった

こんな東京都心からは随分と離れたほとんど農家と畑と雑木林ばかりだった土地にたくさんの爆弾が落とされた理由・・・それが終戦までこの土地にあった「中島飛行機」の施設を狙ったものだったからなのだ

「中島飛行機製作所」は1938年(昭和16年)に当時の大日本帝国政府の要望を受けてこの土地nakajimahikoukiato1に設立された 何を作っていたかといえば、当時の軍用機のためのエンジン

有名なところでは「隼」マニア向けだと「4式戦闘機”疾風”」「2式戦闘機”鍾馗”」など・・・子供のころ800px-The_Nakajima_Ki-84_Hayate_additional_prototype_of_the_Army_Air_Forceプラモデルマニアだった矢島少年(ちなみに軍事もの雑誌「丸」は定期購読していた)にとっては涎の出そうなものがそこで作られていたのだ

当然当時の米軍にとっては「ここは何が何でも叩き潰さなくては」ならない重要ポイントだったわけで、終戦近くには爆撃によって壊滅的打撃を受けていたそうだ

戦後、とてつもなく巨大な企業だった中島飛行機は「解体」いくつかの企業に分散したが、その中で一番大きなのが「富士重工業」つまり「スバル自動車」だ 今皆が乗っている「レガシー」「インプレッサ」なんて車のエンジンは「隼」の技術が引き継がれたエンジンを積んでいるということだね

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ちなみに余談だけどちょっと前に「スタジオジブリ」で公開されたアニメ「風立ちぬ」の主人公のモデルになった「堀越二郎」はこのライバル会社「三菱内燃機関」で海軍向けの戦闘機「ゼロ戦」を作ってたわけだ

さて、太平洋戦争が終り日本の軍隊しして軍事用の設備はすべて解体廃止終了することになった

そして元「中島飛行機製作所」のあった広大な土地に新しい主がやってくるのだが・・・

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