仲田修子話  4

「品川」の文字が歴史書において初見されるのは、1184年(元暦元年)つまり室町時代の地頭田代氏が遺した 「田代文書」の中だそうだ

そのころからすでに漁業を中心に栄えていた土地で後に太田道灌さらには徳川家康がこの地を治めるようになるかなり前から発展していたようだ

江戸時代になると「品川」は東海道の最初の宿場「品川宿」としてますます発展する

今の若い人はご存知無いかもしれないがこんな昔の歌がある

「お江戸日本橋」

これは「端唄」というものだ 端唄とは江戸の庶民が広く愛唱したもので、通俗的に唄われたものが多く、作者が不明のものが多い・・・つまり江戸時代の「フォークソング」みたいなものだったんだろう

僕らは小学生の時に学校でもこの歌を聴かされた覚えがあるし、よくテレビやラジオなんかでも流れていた

このうたの歌詞はこうだ

お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり
行列そろえて あれわいさのさ
コチャ高輪 夜明けて 提灯消す
(コチャエー コチャエー)

六郷渡れば川崎の 万年屋
鶴と亀との よね饅頭
コチャ 神奈川急いで 程ヶ谷へ

意味は・・・なんとなく判るよね

この歌は普通この二番だけ歌われるので僕もずうっとそういう曲なんだと思ってた

ところが、最近ペンギンハウスの出演者の「ヨシアシコ」が

「そうではない歌詞もたくさんある」と教えてくれた

その本来の歌詞を調べてみて僕は驚いた

そこには日本橋と川崎の間の隠された「二番」がじつは挟まれていたのだ!

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

http://penguinhouse.net/how

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