仲田修子話 100

時には対バンの相手から嫌がらせを受けることもあった。 渋谷あたりの店に行ったときだ。 その店にはキーボードとアコギのDUOが対バンで入っていたのだが、修子がステージを務めるとそのあと必ずその2人が修子が歌った同じ曲を演奏するのだ。

最初はなぜだろう?と思ったが「ああこれは嫌がらせなのだ」と気づいた修子だったが・・・もっと驚いたことがあった。

修子が歌っていると、その店の経営者が彼女のところにやってきてこう言うのだ。

「もっとロックな曲をやってくれ。」

それで仕方なく必死に「プラウド・メアリー」などを歌ったのだが

「そんな曲じゃなくてロックだよ!ロックを歌ってくれ。」と言うのだ。

それじゃ何をやればいいのだろう・・・DEEP PURPLEなんて出来ないし・・・と修子が悩んでいると例の嫌がらせをしてた対バンの2人が、ステージでシャンソンの「ろくでなし」を演奏した。

するとそれを見た経営者は「これだよ!こういうロックをやってほしいんだよ。」

・・・それでようやく真相が掴めた。 彼にとっては“ロック”というのはちょっとリズムのあるシャンソンのことだったのだ。

なあんだ、そんな簡単なことだったのか・・・ようやく修子は腑に落ちた。

あるとき修子にちょっと大変な仕事が入ってきた。

六本木の交差点のすぐ近くにあった店・・・そこはなんとディスコだったのだ。

そこに修子はギターの弾き語りで出演したのだ。 対バンは5人編成のフィリピン人バンド。 何しろ多勢に無勢・・・修子にはアコギと当時「ドンカマ」(注)と呼ばれていたリズムボックスしか無かった。

注;「ドンカマ」とは 正式名称は「ドンカマチック(DONKA MATIC)」1963年に王技術研究所(現コルグ )が発売した、国産初のリズムマシン手元にリズムパターンを帰るスイッチがあり足元に置いたフットスイッチでon/offを操作して使っていた

発売当時の価格は280,000円 現在の貨幣価値に換算するとなんと約300万円くらい!

今回、連載100回を記念してボーナスコンテンツをお届けします この動画は2002年に大田区民プラザホールで開かれたコンサートのときのものです ちなみにドラムが瀬山研二 そしてコーラスに今のペンギンハウスのPAスタッフのヤマノくんが入ってますよ


高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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