仲田修子話 136

「私はライブハウスを作ろうと思う 誰の手も借りずに自分達だけの力で資金を集めて・・・自分達の納得のいく音楽活動をするための拠点を作るんだ」

「それで、これから皆で協力して稼いで店を作る資金を作ろうと思う この計画に賛同して私と一緒に活動してくれる気持ちのある人・・・それを”中核メンバー”と言うことにする そこまでは一緒には出来ないが、まあ何かの形で協力するという人を”外郭メンバー”とする どちらを選択するかはあなたたちの自由でいい 強制はしないから・・・どう?」

しばらく考え込む者も居たが、有海、増田、瀬山、矢島の4人はすでにこのことについては聞かされていたこともあってすぐに「中核メンバー」としてやっていくと表明した

「A次」は外郭を選んで、自分のアルバイトの収入の中から少しずつ出資して強力すると約束した

さて、あとは「K」「H」の2人だ 2人はそれぞれ顔を見合わせ困ったような顔をしていたがついにこう言った

「すみません、僕らは協力できないので・・・」

そう言うだろうなという予測は大方ついていたので修子は別に何も言わずに、彼ら2人が去ってゆくことを止めたりはしなかった 今後も友人としては付き合っていこう・・・そういう形にすることにしたが・・・

そして修子と有海、増田の3名は「ハコ」の仕事を入れて資金を稼ぐことに、瀬山はそれまでキャバレーのバンドマンとしての仕事をずっとやってきていて貯金が貯まっているのでそれを提供することに・・・矢島は修子たちが仕事に出ている間の家の家事主に食事を作ることを担当するこちになり、修子と4名それに進を入れた全6名が中核メンバーとして資金を稼ぐことに決定した

その傍ら、有海は車の免許を取得するために自動車教習所に通うことにもなった

そして、その翌月から全員が動き出した 修子はまた弾き語りで赤坂や六本木のクラブへ・・・有海、増田は駆け出しなので、修子がこの仕事についた当初と同じように都心から離れた場所のハコに行き始めた 当時有海が「蓮根(板橋区)」という場所の店に通っていて「えらく遠いんだよ~」とこぼしていたのを筆者は覚えている

そして矢島はとにかく皆が稼いできたお金をなるべく無駄にしないようたとえば料理も「美味しくて栄養がありかつ安い」メニューを考え、そういう料理本を買って勉強したり日々買出しや洗濯と・・・ なおその経験が後に彼が本格的料理人としての道を歩むことになる原点にもなった

皆が過ごした北沢のアパートでの気ままでエキセントリックで楽しい日々・・・

修子の・・・短い・・・「モラトリアム(注)」の季節が終わった

「地下鉄ラグ」作詞、作曲;仲田修子

注;「モラトリアム」 本来の意味は経済用語で「停止」「一時禁止」「支払い延期」「支払猶予期間」などというものを表わす支払いについては借金などの支払猶予のこと この意味から転じて心理学用語的な分野で、「果たすべきことをやらず延期している状態」「肉体的には大人ではあるが、社会的義務や責任を課せられない猶予の期間」という意味で使われるようになった
日本では、1978年初版の「モラトリアム人間の時代」という本の影響で、社会的には大人の年齢に達しているのに、大人になりたくない気分でいる若者のことや、大人になるための心理的な葛藤や乗り越えなくてはいけないことを先延ばしにしている人、その状態のことを意味する言葉として定着した

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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