仲田修子話 144

「ファニーキャッツ」は浜松のビアガーデンへも行った 6月と8月の2回・・・なぜ1ヶ月間が空いてたかというと、そのビアガーデンでは同じバンドが2ヶ月続けての出演はできない決まりがあったからだ

バンドの宿舎は店が借りてくれたマンション、食事も3食賄いだったので、金を貯めるには好条件だった  普通こういう地方の巡業に出たバンドマンたちの大概は現地の飲み屋などに入り浸ったりして、結果としてはむしろ借金を作って帰るはめになるというのが多かった

しかし、修子たちには大きな目標があった とにかくひたすら節約して、ビアガーデンでもビール一杯飲まなかった それどころか缶コーヒーを買うこともNGだった
大きなポットにインスタントコーヒーをスプーンで2杯だけ入れたものを「麦茶」と称し飲むのが日常、あとは週に2回だけ1本のコーラを5人で飲むという厳しい「鉄の掟」が施行されていた

しかし、厳しかったのはこういうことだけでは無かった

ビアガーデンというのは基本は無休で営業されていた バンドマンたちが休めるのは雨で営業が出来ないときだけなのだ

そこで修子たちは必死で毎日「雨乞い」をした 天地のあらゆる神に祈った

にも関わらず一日も雨が降らない 6月は普通なら梅雨で雨が多い ところが、その年に限って「空梅雨」でまったく雨が降らないのだ 夕立とかが多いはずの8月に入ってもこれまた全く雨が降らない

そうだったのだ 修子は驚異的な「晴れ女」だったのだ 「だった」ではなく今でも・・・なぜか修子が歌うときは、どんなに天気予報が「雨だ」と言ってても晴れてしまう・・・そういうことが非常に多いのだ

そういうわけで6月と8月の通算2ヶ月・・・ついに一度も雨は降らず・・・修子たち「ファニーキャッツ」は一度も休みを取ることが出来なかったのだ

こうした苦労の日々を重ねて修子たちはなんとか資金を貯めることができた

これでしばらくはゆとりを持って暮らしてゆくことができる

しかし、それではまだ安定した生活とはいえない 貯蓄も使ってゆけば減ってゆき、またハコでの仕事をくりかえす・・・それでは自分が挙げた旗印の意味がどこにも無いではないか

修子は考えた これはやはりその資金を元手にしてもう一つ、新しい事業を始めるのがベストだろう ただ「猫屋敷」のような飲み屋をもう1軒建てたところで、収益はそれほど上がるとは思えない(ちなみに猫屋敷がなんとか黒字に転じたのはオープンして3年が経ってからだった)

何か今まで誰もやってなかった新しい商売は無いか・・・修子は考え続けた ずうっと考え続けた

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

出演するには?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする