仲田修子話 148

矢島はその当時は猫屋敷の仕事を任されていたので基本的には工事には参加してなかったが、それでも店が休みのときや昼間など、時間が空くときは時々現場に行って手伝っていた

ある日、その日はいよいよスタジオ内にアップライトピアノが搬入されることになってたのだが、その受け入れの当番を矢島が任された 待っているとピアノの運送業者がやってきた このジャンルは特別のノウハウと技術が必要でほかの運送業者には出来ないと聞いていたが、それがなぜなのか・・・その時彼はまざまざとそれを知ることになった

業者は2人でやってきた トラックの荷台からピアノを下ろすと、まず業者の男たちはエレベーターを点検した スタジオはそのマンションの3階にあった 調べてみるとそこのエレベーターでは狭くてピアノを入れることが出来なかった どうするのだろうと見ていると、何とその2人のうちの年配の(どう見ても70代近く)方が太い帯状の紐をピアノに掛け、その紐の一端を自分の肩に回すと一人でそれを担ぎ、なんと階段を歩いて登り3階まで運んでしまったのだ

「プロってすげえ~!」 その一部始終を見ていた矢島は衝撃を受けた

工事はなかなか難航していた 特に苦労したのがスタジオのルームとその外に作った受付スペースとの間のものすごく厚みのある重いドアを取り付ける作業だった ほぼ完璧な防音状態を生み出すためにはこのドアを完璧な気密性でがっちり閉める必要があったのだが、それがなかなか上手くいかずに増田も頭を悩ませていた それもなんとかクリアーし、内側の壁も床も天井も張り内装も仕上がり、新品のドラムセット、アンプ、マイク、スタンドなども次々に入荷してきた

そしてようやく苦労の甲斐あって、ついに完全に自分達だけの手によってこのスタジオは完成した

名前はわかりやすいように「大久保スタジオ」とした 大久保駅のホームからすぐそこに見えるマンションは今でもそこにある

このスタジオの運営について修子はいくつものセオリーを作った

まず演奏室の外側の受付ブースに数名が座れるようにテーブルとイスを置き、順番待ちをする利用者、その反対に演奏が終わって出てきた利用者がそこで待機したり休憩したりできるようにした 今ではどこのスタジオでも当たり前になってるそんなことも、実は修子のアイデアが基になっていたのだ そしてその場所に居る利用者には無料でインスタントだがコーヒーのサービスをすること

あと利用者に対する言葉遣いはあくまでも親切で優しく・・・ それは電話の応対で問い合わせや予約を受けるときもそうするように修子は指示した そのためのトレーニングもわざわざ行い、修子がそれをチェックしてダメ出しをする・・・今のサービス業界では普通のことだが、当時はまだそれほど行き渡ってなかった時代だ

その他にも利用者が快適に演奏やその前後の時間を過ごせるような、細かい配慮があちこちに施されていた あの渋谷にあったスタジオとはすべてが真逆だった

そしていよいよ「大久保スタジオ」はオープンを迎えた

お知らせ

21日(土)『修子&Midnight Special ライブ』
出演;仲田修子(vo),ジミー矢島(ag),瀬山研二(ds),伊藤悦士(g)、安威俊輔(b)
オープニングアクト;大濱吾朗(g/vo)        《charge\2000》

半年ぶりに仲田修子バンドがライブしますよ 今回からバンド名も元の
「修子&Midnight Special」になり、またメンバーも変更しました
ギタリストの有海治雄が体調不良のため本人の希望でメンバーから抜け、それに代わって新鋭の若手ギタリスト伊藤悦士が正式メンバーとして加わりました 平均年齢が若くなり、ますますパワフルでタイトになった修子バンド

見逃したら損しますよ!

オープニングアクトはこれまた若い天才

ブルースマン 大濱吾朗がつとめます

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

出演するには?

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