仲田修子話 159

その当時彼女の作った曲には「ミッドナイトスペシャル」「狼の子守唄」など数々の名曲がある その後も修子はオリジナル曲を次々に創作し続けている その内容はファンキーで楽しく、誰でも口ずさみたくなるようなものだったり、深くスピチュアルな部分を多く掘り下げたようなものになっていった

オリジナル曲でのコンサートのほかにジャズボーカルのスタンダードナンバーだけを歌うコンサート(この時はジャズピアニストを雇った)、ゴスペル、スピリチュアルだけを歌うという内容のコンサートもやった

この仕事は足掛け2年間ぐらい続いた しかし、その団体のトップの女性には音楽のことは全然わからないのにやたらと「あのピアニストは化粧が濃すぎる」とか「あのギタリストは挨拶するときに心がこもってない」などとメンバーたちの悪口などをあからさまに言う癖があった 最初は黙ってこれを受け流していた修子だったが、さすがにあまりにそれが続いたので、うんざりして「いいです、もうやりません」とその仕事はやめてしまった

その後修子は外へ歌いに行くことを一切やめペンギンハウスに腰を据えて、ここのハウスバンドとしてライブ活動をするようになる 大体2ヶ月に1度くらいのペースでペンギンライブを続けていった

その頃には修子の精神状態もだいぶ回復してきていた そして新たな変化が始まっていた

「おやこ劇場」をやっていた頃にこんなことがあった

当時修子はダイエットのため毎日かなり激しい食事制限をしながらウォーキングをしていた 毎日あまりの空腹感に苦しんでいたのだが、そのときこんな考えがふと頭に浮かんだ

「私は今飢えている・・・ただ、私イコール飢えではない 飢えというものは私の外にあるのだ」「“執着を捨てる”というが、執着は捨てるのではなく離れるものなのだ」

そう思ったとき修子はそれを「自分は小悟したのだ」と自覚した そしてその結果・・・25キロのダイエットに成功したのだ

またそうしたことがきっかけになったのか、その頃から修子は人の話を興味を持ってよく聞くようになった 他人に対して気を使うようになった 以前の修子は演説のように自分ばかりが喋る一方で人の話に耳を傾けることはほとんどしていなかったが、誰かが話すことをゆっくりと丁寧に聞く・・・そういう人物になっていった

こうして今の「仲田修子」の姿が次第に輪郭をくっきりと現しはじめてきた

もうひとつ、修子の人生をがらっと変える大きな変化がおとずれた そのきっかけを作った人物を紹介しよう 修子には長年付き合いのある琵琶奏者の友人がいる

その人の名前は「田原順子」日本の琵琶演奏者の中でもかなり有名な人で、筑前琵琶の流れを受け継ぎ「平家物語」などから、現代感覚を盛り込んだ演奏でも定評のある奏者だ

その田原さんから修子はある人を紹介された

「一度行ってみたら?」 と勧められたので彼女の勧めを受けてそこに行ってみた

そこは「金井先生」という人が開いているカウンセリングの診療所だった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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