ギターギター 43

スキップの歌うキーはDの場合が多かったので彼がきっとギターを変則チューニングにして弾いてるのだろう・・・そう推理する研究者が多かったのです

「オープンD」か「オープンDm」ではないか・・・そういわれてました

1972年にあの「ライ・クーダー Ry Cooder」が発表した「放浪者のバラッド Boomers Story」の中にスキップの「Cherryball Blues」がインストでいれられてますが、ライはここでは「オープンDチューニング」を使ってるようです

ちなみにオリジナルはこうです

そしてずっと後になってスキップ・ジェイムスが演奏している映像が段々と公開されるようになりました それを見て私はやっと本当のことがわかりました スキップはオープンチューニングではなくレギュラーチューニングのまま全体を1音下げて弾いてたのです そのあまりにもスムーズな音運びなどでまるでオープンチューニングで弾いてるように聴こえてたことがわかりました

これも彼が戦後の60年代まで生きていて、録音録画技術が充実した時代まで活動していたから残されたわけです 60年代のアメリカでは戦前(主に20~30年代)に活躍していてその後消息がわからなくなっていたブルースマンたちの「再発見」が相次ぎました ここまで紹介した人のほかにも「サン・ハウス Son house」「ブッカ・ホワイトBukka White」「ビッグ・ジョー・ウィリアムスBig Joe Williams」「ライトニン・ホプキンスLitnin’ Hopkins」「ブラック・エイスBlack Ace」「ファリー・ルイス Furry Lewis」・・・などあげればきりが無いのですが、「チャーリー・パットンCharley Patton」「ロバート・ジョンソンRobert Johnson」「ブラインド・ウィリー・ジョンソンBlind Willie Johnson」など多くのブルースマンたちが自堕落や不摂生そして貧困や病気のため若くして亡くなった中で、この時代まで生きていて多くの録音や映像を残してくれたことが、その後のこの音楽に影響を受けた若い非黒人のミュージシャン・・・私を含めて・・・たちにどれだけの影響力を持ったか、想像してみて下さい

そしてそういった「再発見組」の中でもかなりドラマチックな取上げられ方をされたブルースマン 「涙無くしては聴けない」とまで言わせたブルースマンが

次に紹介するこの人です

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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