ギターギター 59

さて、ブルースを聴きはじめた当初は主にミシシッピのそれもデルタ地域のブルースを聴いていた私ですが、次第にその興味が同じ南部でも東側、いわゆる「イーストコースト」と呼ばれる地域のブルースに向いていきました

まず最初にいいなと思ったのが

「ブラインド・ウィリー・マクテル Blind Willie McTell」

1901年にジョージア州オーガスタの近くのトムスンで生まれ、1959年に同州ミレッジヴィルで死去しました。本名はウィリー・サミュエル・マクテル( Willie Samuel McTell)です。生まれながらの盲目ですが、小さい頃からギターを弾き始め、12弦ギターも習得しました。その後、南部一帯を放浪して種々の音楽を摂取し、ブルース、ラグ・タイム、スピリチュアル、バラッドなど多彩な演奏目録を持っています。1927年から35年までに60曲以上を録音し、戦後にも49年と56年に録音を残しています。(以上「ラディカルビスケットより」)

「ブラインド」と付くのはもちろん彼が盲目だったから 昔の黒人ブルースマンには「ブラインド・レモン・ジェファーソン」「ブラインド・ブレイク」「ブラインド・ボーイ・フラー」・・・という名前の盲目の人が多かったのですが、そのほとんどが”超一流”と言っていいテクニシャン揃いでした マクテルも勿論そうで、彼のトレードマークの12弦ギターは華麗でそれでいて妙にメランコリックな音を立て、そして独特の鼻にかかった甘ったるいような声はなんだか哀愁がありました ミシシッピのブルースマンたちのような攻撃的でアグレッシブなところは全く無くて、うっかりすると軟弱に思われてしまいそうですが、しかしそこにブルースフィーリングはどっぷりと溢れていたのです 以前アパラチア地域の白人と黒人の音楽の近似性についたところでも彼の曲を1つ紹介しましたが、やはり白人的アプローチは彼のスタイルのなかにもはっきりと見られます

じつは当時、私も12弦ギターを弾いていたこともあったのでマクテルのギターはかなり参考にさせてもらいました なんと、驚くことに彼の音楽はあの「ボブ・ディラン Bob Dylan」にまで影響を与えてたようで、1983年に発表したアルバムにタイトルもそのまま「Blind Willie Mctell」という曲を吹き込んでいます

歌詞の日本語訳がこちら いかにもディランらしい詩ですね

「ブラインド・ウィリー・マクテル」

戸口の側柱に矢が突き刺さり
そこには、「この国は有罪を宣告されている ニューオリンズからエルサレムまでずっと」と書かれていた
ぼくは多くの犠牲者たちが傷つき倒れた東テキサスをずっと旅して回った
そしてぼくには判っている
ブラインド・ウィリー・マクテルのようにブルーズを歌える者は他には誰もいないことを

彼らがテントを取り壊しているとき
ぼくはふくろうの歌声を聞いた
彼の聴衆は痩せた木々の上に出た星だけだった
黒いジプシーの歌姫たちは
その羽を見せびらかすことができる
でもブラインド・ウィリー・マクテルのようにブルーズを歌える者はいない

大きな農園が燃え上がっているのを見てごらん
鞭が打たれる音に耳を傾けてごらん
咲き乱れる木蓮の花の匂いを嗅いでごらん
そして奴隷船の亡霊を見つめるがいい
部族の人たちの苦悶の声がぼくには聞こえる
奴隷請負人の鐘の音も聞こえる
そう、ブラインド・ウィリー・マクテルのようにブルーズを歌える者は誰もいない

一人の女性が河辺にいる
立派で堂々とした若者と一緒にいる
彼はまるで大地主のようにめかしこんでいる
その手に持っているのは密造ウィスキー
大きな道には一人のチェイン・ギャング
反逆者たちの雄叫びがぼくには聞こえる
そしてぼくには判っている
ブラインド・ウィリー・マクテルのようにブルーズを歌える者は他にはいないってことを

天にまします神よ
神が手にされているものをぼくらだって手に入れたい
だけどそこにあるのは権力と強欲、それに腐敗の種だけのように思える
ぼくはセント・ジェームス・ホテルの窓をじっと見つめている
ぼくには判る
ブラインド・ウィリー・マクテルのようにブルーズを歌える者は他には誰もいないってことが

ボブ・ディラン 1983.5.5

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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