僕が東京に来た理由 6

これは大分経ってから当時ペンギンハウスのマスターだった亜郎から聞いたのだが、あの震災の直後からそれまでペンギンハウスに出演していたミュージシャンやバンドから「出演を取りやめたい」「もうライブはやらない」という連絡が次々に来たそうだ。 理由はそれぞれ色々あったようだが、中でも「もう音楽を続けるモチベーションが無くなった」というのが一番多かったそうだ。「音楽を発信する人間がなんということを言うのか!?」と一瞬僕は怒りがこみ上げたがどういう人たちがそう言ってたのかを知って納得した。

それは大きくくくると「ジャズ系」それもインプロ系のインストをやってた人たち、もっと多かったのが当時ペギハウスの出演者のかなり多くを占めていたいわゆる「ノイズ系」の連中だった。 そもそも僕はいまだにノイズが果たして「音楽」なんだろうかと疑っている部分があるのだが、そういうパフォーマンスをやっていた出演者たちがこぞって去ってゆき今ではほとんどその存在さえあるのかどうか・・・それはいいとしても、彼らはつまり聴き手のことなんか最初から考えていなかったのだと思う。

「ノイズ系」が消えたのにははっきりとした原因があると思う。ペンギンハウスで働き始めた最初の内はそういったジャンルの演者がわずかだが残っていた。その時僕が感じたのは彼らは「音」でこの世の中あるいは人間の意識の裏側にある恐怖や不安などを表現してたのだと思う(間違ってたらゴメン)。ところが、ある日彼らの作り出していた「仮想恐怖」や「トラウマ」などをはるかに超える「現実」が現れて今まで白黒の写真しか知らなかった人間がいきなり「オールカラー3D」の動画を見てしまったようなものだったのじゃないかな? とにかくあの大地震を境にしてそれまでかなり繁栄をしていた(?)かのジャンルはまるで白亜紀末の恐竜たちのようにほとんど絶滅してしまったのだ(少なくともペンギンハウスライブでは)。

写真は縄文土器

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