僕のブルースマン列伝 4

第4回目の今日は昨日と打って変わっておそらくほとんど無名だと思えるブルースマン

ボー・カーター

どんくらい無名かというと・・・ネットで調べても出てきた資料は(日本語に限定だけど)あわせてもこんなものだった

BO CARTER Guitar & Vocal 1893-1964
ストリング・バンド、”ミシシッピ・シークス”のチャットマン兄弟の一人。
右手5本の指全部を使った弾き語りのギター・テクニック。1928~40年に残した120曲 ディープで芸人根性タップリ・・・

彼が所属していたグループ”ミシシッピ・シークス“はこんな感じだ↓

1930年代に活躍した黒人ストリング・バンド ボー、ロニー、サムのチャットマン兄弟とウォルター・ヴィンセントの4人構成 チャットマン一家は奴隷制の時代から音楽で生計を立てていました。11人いた兄弟は、各人が複数の楽器を演奏することが出来たそうです。ミシシッピ―・シークスは、1930年からオーケイに、1932年にはパラマウント、1933年にはコロンビア、1934年から1935年にかけてはブルーバードにと数多くのレコードを残しています・・・

ボー・カーターを聴くきっかけになったのがこの「ミシシッピ・シークス」を聴いたのがきっかけだった それまで僕が「ミシシッピのブルース」に持っていた「重苦しくて攻撃的で粗野」というイメージをまったくひっくり返すような彼らの演奏・・・それはどちらかと言うとブルースというよりは「黒人のカントリーミュージック」といった感じだった

ギターとバイオリン時にはピアノも入って・・・歌い方も柔らかくてコーラスもきれい・・・かなり洗練されたスタイル そして独特の洒脱さとユーモラスさ ”イージーリスニングブルース”とでも言おうか ブルースというと「暗い音楽」というイメージがどうしても優先されてしまうが、「パパ・チャーリー・ジャクソン」「タンパ・レッド」「ロニー・ジョンソン」などのように軽妙で明るいスタイルもけっこう人気があったのだ

この「チャットマン兄弟」というのはまるで当時の「ジャクソンファミリー」みたいだったのだが、その中でも筆頭に才能があってそして人気があったのがボー・カーターだったのだ

そのご、彼のソロアルバムを何枚か購入して聴いていたがギターワークが本当にムダがなく素晴らしくいいセンスでそれが彼の明るくてひょうひょうとした歌い方にすごく合ってる そして、好んで歌ったのが「BAWDY SONG」つまり「春歌」だ それもちょっとヒネリがあって決して下品ではなく思わずクスリと笑ってしまうような歌・・・実は黒人ブルースの中にはこういった内容の曲がすごく多くて有名な「Black Snake Moan」「Hoochie Coochie Man」「I’m Ready 」などなど・・・数え切れないのだが、とにかくこういうのを歌わせたらまさに「名人」というようなシンガーだった 聴いてるとなんだか元気になってくるんだよなあ 「ダブルミーニング」なタイトルのこの曲「My Pencil Won’t Write No More」をお聴きください


戦後やはり「再発見」された彼だが、その時はもうギターも全然弾いてなかったらしく昔の面影はほとんどなかったようだ

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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