もう一度ブルース   7

さて、また1920年代のブルースの話に戻る

前に紹介した「ジャグバンド」以外でもソロではなくグループであるいはDUOで活動していたブルースの流れがあった

その中でもわりと初期の頃から形が出来上がって人気も得ていたのがギターとピアノのDUOだ

このコンビで真っ先に紹介しなくてはいけないのがこの2人

リロイ・カー Leroy Carr
1905年3月27日にテネシー州ナッシュビルに生まれました。名曲「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルース」の作曲者として有名です。また、シティ・ブルースの確立者として重要です。
1928年6月、ギターのスクラッパー・ブラックウェルと組んで「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルース」と「マイ・オウン・ロンサム・ブルース」の2曲を初録音しました。「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルース」がヒットして、それ以降、百数十曲を録音しています。人気者として各地を巡業するようになりましたが、旅先で大好きな酒を飲み過ぎて肝臓を痛め、1935年4月28日の夜に出かけたオールナイトパーティの席で発作が起こり、翌朝に弱冠30歳で亡くなりました。(以上;ラジカルビスケットより)

スクラッパー・ブラックウェル Scrapper Blackwell
本名はフランシス・ヒルマン・ブラックウェルです。1903年2月21日、ノース・キャロライナ州シラキューズで16人兄弟の一人として生まれました。
リロイ・カーの相棒として、シングル・ノートによる絶妙のギター伴奏を聞かせました。彼のギターはリロイ・カーのピアノに匹敵する影響を持っていて、ビック・ビル・ブルーンジーなど多くの追随者を生んでいます。
自己名義でも29曲ほど吹き込み、1928年にインディアナポリスのヴォカリオンに「ココモ・ブルース」、「ペナル・フォーム・ブルース」を初録音しています。前者の曲は「スイート・ホーム・シカゴ」として知られているものです。以降はチャンピョンやブルーバードへ録音しています。
リロイ・カーが死んでからは、音楽業界から離れていましたが、1958年の夏に再発見され、フライライトとブルーズヴィルにLP2枚を残しています。
1962年10月6日、インディアナポリスで殺害されました。(以上;ラジカルビスケットより)

それでは最初にヒットしたこの曲

30年代にかけて大活躍したこの二人の人気はそれとともに多くのフォロワーを生んだ

そのあと登場した「ビッグビル・ブルンジー」や「タンパ・レッド」などのギタリストも早い時期からピアノとのコンビでレコーディングをしている

もう1人はこの人

クリフォード・ギブスン
1901年にケンタッキー州ルイヴィルで生まれ、1963年にミズーリ州セントルイスで亡くなりました。1920年頃からセントルイスで音楽活動を始めました。1029年にOSRに10曲、ビクターに12曲を吹き込み、1931年にビクターに2曲を吹き込みました。戦後は1951年と1960年に吹き込みをしています。代表曲は「Tired of Being Mistreated」、「Stop Your Rambling」です。

すごく繊細な洗練されたギターを弾くブルーマンでほとんどはソロで活動していたけれど、ピアノとのコンビでも素晴らしい演奏を残している

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

http://penguinhouse.net/how

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