僕の吉祥寺話 5

高校3年生・・・つまりその当時の僕はしっかり”受験生”だったわけで、学校から戻るとそのあとはしっかり受験勉強・・・をしてなくちゃいけなかったのだが・・・すっかりギターにうつつを抜かし、勉強をしているはずの深夜にもただずうっと深夜放送ラジオを聴いていた


当然その結果ははっきり出るわけで、その翌春の受験を完全に失敗した僕は見事に「浪人」とあい成った 浪人というのはありがたいもので社会の”どこにも所属していない”という状態は今まで生きてきた中では始めて 予備校には通ったがそれも授業は午後の2~3時間くらい そのあと本来なら受験勉強にあてなければならない時間のほとんどを僕はギターを弾いたり音楽を聴いたりという時間に費やしていた

その頃・・・吉祥寺駅の高架下のショッピングモール「ロンロン」にあったレコード店「新星堂」で僕は1枚のレコードに出会った

その当時、ギター練習のメソッドとして聴いていた「ピーター・ポールアンドマリー」(略してP・P&M)をきっかけに(ボブ・ディランもジェシー・フラーもウディー・ガスリーも彼らを通して知った)「アメリカンルーツミュージック」特に白人の「Old Time Music」に傾倒していった僕はやがてひとりの昔のカントリーシンガーに辿り着く


そのシンガーはJimmie Rodgers(ジミー・ロジャース)といい、1930年代の初期にタイヘン人気のあったシンガーだというのはなんとなく知っていたがどんな演奏かは知らずにいた

その新星堂のレコード棚のカントリーコーナーにあった「永遠のジミー・ロジャース」というアルバムを購入して聴いたのがきっかけで僕の音楽の方向性がはっきりと決まってしまった

そのレコードから流れてくるなんとも”のどか”でオールドタイミーなサウンド、そしてはじめて聴くアコースティックスライドギター(のちにそれがオールドハワイアンギターだと知る)そして優しくなぜか切ないジミーの歌声・・・やがて僕はその奥に込められていた”エッセンス”の意味を知ることになっていった


それが「ブルース」だと知るにはそんなに時間はかからなかった 僕の人生をすっかり台無しにそして面白いものにしたブルースの扉はもうすぐそこで口を開けて待っていた

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする