僕の吉祥寺話 23

吉祥寺の「ボガ」は個人経営だったけど当時の「コーヒーショップブーム」にうまくシンクロしたみたいで次々と支店を増やしていた そして「第3ボガ」通称「3ボガ」は2ボガから2年くらい遅れてオープンした 場所は「21話」で触れたあの今は無い路地の奥だ

今の景色はこんな⇒感じになってる なんとも味気ないカンジだが、当時は映画館の壁に張り付いて「おでん太郎」ともう1軒の屋台があって、そのはす向かいに3ボガがあった なんとなく「うらぶれた」風情があって、その当時の吉祥寺にはまだそういう一角があちこちにあった

ここから駅のほうへ向かう途中に今もある「ハモニカ横丁」 ここはけっこう当時の面影を残していてお店もまだやっているところも・・・

居酒屋の「笹の葉」とかこの魚屋⇒なんか当時のままだ

でも今ではかなりお店も代わって若者向けのエスニックなバーとかが増えてきた

この路地でもよく飲んでたなあ・・・「峠」とかは有名で今でもまだやってるみたいだけど今は「天文館」というラーメン屋のあるところに昔「三楽」という安居酒屋があってよくそこには行ってたなあ とにかくムチャクチャ安かったけど酒はヒドかったなあ(笑)そこの「メンチカツ」と「肉豆腐」「さらしくじら」が僕のお気に入りメニューだったけど、のちに一緒にバンドをやったベースの牧裕(吾妻光良の相方だ)もよくそこでまったく僕と同じものを注文していたという話をあとできいた

ハモニカ横丁でも一番狭くて暗い路地に「さと」という小さな飲み屋がありニューハーフのマスターがやっていてたまにそこにも通ってたが、ここは本当に吉祥寺でもかなり”コア”な場所で、僕には「人生の修行」みたいなお店だった 当時の吉祥寺にはそういう店がまだまだあってどこも「若い者」にはキビシかったなあ・・・ 公園通りを中央線のガードからちょっと北へ抜けて「中通り」入ってすぐのところにあったおでん屋・・・「みかど」という名前旧い木造の建物で中に入るとくの字型のカウンターがあってその中でいつも居眠りしているおばちゃん(ほとんどおばあちゃんだったが)がいる店は「大人って本当にすごい!」と行くたびに思い知らせてくれた ここはもちろん今は無いが、それから何年か後に「大友克洋」の漫画「さよならにっぽん」にそのお店がおばちゃんも含めてそのまんま出ていたっけ⇒

ただそのストーリ-では「おばちゃん」は実は「メリーなんとか」という往年の歌手だったことになってたが・・・

さて、夕暮れ前のちょっと侘しさのあった吉祥寺の街角・・・太郎さんかまだ仕込み中 僕らは3ボガに滑り込んでいた 「3」は「2」より間口は狭く「2」のように眺めは良くなかった 見えるのは向かいの映画館の壁だけ 店に入ると「ビル・モンロー」が流れていた 木俣チーフが「2」から「3」に移るとき・・・彼の「ブルーグラクコレクション」と一緒にまるで「カルガモ」のように僕らもそこへ移動してきていたのだ

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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