僕のブルースマン列伝 26

さて、今日ご紹介するのは近年のギタリストの中で僕が一番好きなこの人

アルバート・コリンズ Albert Collinsアルバート

1932年10月1日1993年11月24日)はテキサス州レオナで生まれ、ライトニン・ホプキンスが母方の親戚ということもあり、ブルースにのめり込んだ。1956年にセッション・ギタリストとして初レコーディングを経験。その後『カンガルー・レーベル』と契約し、1958年にデビュー・シングル「The Freeze」を発表。その後、インストゥルメンタル曲を次々と生み出した。

1969年から1970年にかけて、『インペリアル・レーベル』から3枚のアルバムを発表。やはりインスト中心だが、徐々にヴォーカルにも意欲を見せていく

1978年、ブルース・レーベル『アリゲーター・レコード』と契約し、久し振りのスタジオ・アルバム『Ice Pickin’』を発表。同作では8曲中6曲で歌っており、シンガーとしての成長も見せた。その後『Frostbite』 (1980年) 、ライヴ盤『Frozen Alive』 (1981年) を次々と発表し、1982年には初来日公演も行う。このときの様子は、ライブ・アルバム『Live In Japan』 (1984年) としてレコード化された。

ロバート・クレイ、ジョニー・コープランドとの連名で出したセッション・アルバム『Showdown!』 (1985年) も話題となり、グラミー賞を受賞。また、1985年にはライヴエイドにも出演。1987年には、前衛サックス奏者ジョン・ゾーンのアルバム『Spillane』にゲスト参加。

1988年7月には、ジャパン・ブルース・カーニバルに出演のために再来日を果たした。同カーニバルには1991年にも出演、また翌1992年にはマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルへも出演し、来日は計4回を数えた。 1993年11月24日、癌のために亡くなる  以上「Wikipediaよ」り抜粋

かお

まずこの人の顔を見てほしい⇒

恐いよねえ(笑) 僕もよく人から「演奏しているときの顔が恐い」と言われるが、この人にはとてもかなわない ブルースマンには迫力のあるお顔のプレイヤーがかなりいるが、その中でも群を抜いてるよねえ・・・

まるで「不動明王」みたいな・・・ふどう

そしてこのアルバートのギターったら本当にお不動さんのように火を背負っているような音なのだ


残念ながら生で彼の演奏を観たことはないが、ずいぶん前に富士山の麓の山中湖で開かれた「マウントフジJAZZフェスティバル」に登場したアルバートの演奏(上の動画がそれだ)を見て一発で”がつーん”とやられてしまった

いわゆるテキサススタイルの流れなんだろうけど(テキサス出身のギタリストはTボーンもフレコリンズディー・キングもそうだがなぜかギターのストラップを右肩にだけかける)そのフロントにハムバッキングを搭載したテレキャスターは本当に凶器のようなものに変化する オープンチューニングにされたギターにとんでもなくハイポジションにカポ(8フレットより上のときもあるようだ)をつけて弾く

なんて凶暴で気持ちいいギターなんだろう!あのよく使うフレーズ高音から低音へ

「キュイ~ン/ブリッ!/バホッ!」と下がってくるフレーズ大好きでなんとか真似してやろうと思ったけど・・・顔の恐さで追いつけない(笑)

「歌はイマイチ」という評価も多かったけどいいじゃないか!こんなにゴキゲンなギター弾いてくれるなら歌は大目にみちゃうよ~!

そういえばその「マウントフジ」のテレビ放映のとき、楽屋で彼にインタビューしたのがやはり日本でアヅマ一番凶悪なブルースギタリスト(笑)吾妻光良だった

てっきり日本を代表するギタリストの彼のことだからこのために呼ばれたのかと思ってたら、あとで本人に聞いたところ「当日テレビ局の中継スタッフとして現場にいたら”お前やれるよな”と駆り出された(彼は当時日本テレビの音声スタッフやってた)」・・・のだそうだ

それにしても61歳で亡くなって、この人も勿体無かったねえ~

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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