僕の吉祥寺話 33

ある日ぐゎらん堂にやってきた2人の青年 彼らは「林亭」という名で活動しているアコースティックユニットだった 出来たばかりの自主制作LPレコード 「夜だから」というアルバムを携えて

僕が「インテリっぽい」っと思ったのも当然で二人とも現役の大学生だった夜だから

彼らのアルバムをさっそく皆で聴いてみた アコギとマンドリン、バンジョーにバイオリンを使って演奏されてるそのアルバムは当時僕が好きだった「ニュー・ロストシティー・ランブラーズ」や「ドク・ワトソン」に近い感じ オリジナルの日本語の歌ばかりだったがなかなか素晴らしい出来上がり

これはとくに高田渡には一番受けたようで、すぐに彼らとの交流が始まった

彼らのひとりは佐久間順平 もうひとりは大江田真という名前だったハヤシ

林亭すぐにぐゎらん堂のレギュラー出演者になった

その後それぞれ別の道に進み活動を停止して最近又再開したかれらだが、佐久間くんはご存知高田渡や小林清らと「ヒルトップストリングバンド」を結成 後に独立後はバイオリン、マンドリン、ギターなどのマルチプレイヤーとして「南こうせつ」「小室等」など多くのシンガーのバックで現在も活躍中、大江田くんはレコードショップの経営をしている

その「林亭」というユニット名だが、元々はもうひとりメンバーがいた そのメンバーはこのユニットの曲をほとんど書いていた男で、 林ヒロシ と名乗っていたハヤシヒロシ

やがて林亭に誘われるようにぐゎらん堂にやってきた彼はやはりここでレギュラーシンガーとして活躍するようになる ソングライターとして出色な才能を発揮していた彼を特に高田渡はすっかり気に入って、一時はまるで師弟のように一緒にライブツアーとかしていた(右写真、左が林ヒロシ、真ん中はなぎらけんいち、右がこの写真をアップした古川豪)

やがて遅すぎるくらいだった彼のアルバムが製作発表された 「とりわけ10月の風が」というタイトかぜルのそのアルバムには林亭の二人はもちろん当時ぐゎらん堂に関っていた何人かのミュージシャンが参加した

そんな活動を積極的にしていた彼だったが、ある女性との結婚をきっかけにあっさりこの音楽の世界から足を洗ってしまった そのまま普通の堅気の世界で生きてゆく・・・そう思ってた周りはある日意外なところで彼と再会することになる

時代はだいぶ下った2005年 カンヌ映画祭に出品されて話題を呼んだ映画「バッシング」というバッシング映画をどこかできいたことあるかと思う 当時大騒ぎを引き起こしたイラクでの日本人人質事件を題材にした映画

その監督 「小林政広」・・・それが林ヒロシの本名だ

そして、ぐゎらん堂の皆・・・僕にも大きな影響を与えた人物が登場した その人は・・・

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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