僕が「グリーンパーク」によく行く目的はほかにもあった
当時、父の紹介でそのキャンプに住むひとつのアメリカ人家族と家族ぐるみでお付き合いをしていたのだ その家には1人息子がいて名前をジミーと言った 僕より1か2歳年下の可愛い少年だった 彼の家に招待されてごはんをご馳走になったり一緒に2家族でピクニックに行ったりした
ピクニックは高尾山に行ったと思う ジミーくんのママがお洒落なバスケットに詰めたお弁当を持ってきてくれて、その中にはサンドイッチ、フライドチキン、フルーツなんかが入ってたのかな
そのフライドチキンの味が今でも忘れられないくらい美味しかった 僕の家でも時たま「トリの唐揚げ」などが出ることもあったがまるで別物・・・「アメリカだなあ」そう思った
ある年の暮れ・・・”クリスマスイブにパーティーを開くから”と招待を受けてお邪魔したことがある いつものゲートを通りメインエントランスのところに来ると、いつもとは違う何かがそこにあった 近付いてみるとそれはイエス・キリストが産まれた馬小屋の様子を再現したジオラマだった
建物に入り通路を歩いているとすれ違うアメリカ人が全員「Merry Christmas!」と声をかけてくる それぞれの部屋の入り口にはクリスマスリースが飾ってあった
当時の日本でもクリスマスを祝う習慣はすでに定着していたが、どちらかというと飲み屋やキャバレーで酒飲んでドンちゃん騒ぎする・・・というのがパターンになっていたが、その夜のグリーンパークは驚くほど静かで皆それぞれの家で静かに迎えるのだということをはじめて知った
そしてジミーファミリーの家にやってきた 入り口を通され中に入ると大きなリビングの奥には綺麗に飾りつけられたクリスマスツリーがあり、その根元にはテレビのアメリカドラマで見たようにプレゼントがいくつも置かれていた
ダイニングのテーブルに案内され全員が食卓につく いよいよディナーが始まる しかし、ここでまずアメリカの習慣に従って全員両手を胸の前で合わせお祈りをする そう、その夜は彼らキリスト教徒にとっては敬虔な祈りの宴なのだ 僕も一緒に手を合わせるが、何だかこそばゆい
そしてやっと食事になる ママがオーブンで焼いた大きなターキーが出てくる それにサラダにポテト クリスマスでも料理は意外に質素なのだ それは開拓時代を経て建国されたアメリカ人のマインドなのかも知れない だから「ドンちゃん騒ぎ」なんて「もってのほか」なのだろう
そして最後にはやはりママが作ったケーキが出てくるが、これもデコレーションなどはほとんど無くやたら重量感のあるスポンジに砂糖がやたら多いバタークリームを塗ったもの・・・正直僕はこのアメリカのケーキはあまり好きにはなれなかった 当時の「不二屋」のショートケーキのほうが美味しい・・・そう思ってた
そして食後にはプレゼントの交換・・・アメリカ式のクリスマスイブは最初から最後まで静かでしっとりとした夜だった
僕が中学生ぐらいになった頃、父がそれまで勤めていたグリーンパークを退職し自営業の電気工事に専念するようになって僕のグリーンパーク通いは終了した その後1969年に立川の米軍飛行場が日本に変換されるのと同じくして「グリーンパーク」は閉鎖されたようだ
その跡地は今は「武蔵野中央公園」という名前の大きな原っぱになっている
グリーンパークは少年期の僕に色々な刺激をくれたし今僕が少しばかり英語が話せるのもこの時の経験が元になっている それにしてもあの当時の日本とアメリカはあらゆる面で差があった 経済も文化も・・・その当時の日本の子供たちはどんな暮らしをしていたかといえば・・・