仲田修子話 14
それは夕暮れ過ぎた頃・・・同じ商店街を7~8分歩いた先に不思議なエリアがあった 道を挟むように何件かの建物があった その建物の軒先には...
それは夕暮れ過ぎた頃・・・同じ商店街を7~8分歩いた先に不思議なエリアがあった 道を挟むように何件かの建物があった その建物の軒先には...
ここで次の話に行く前にもう一度品川という街についてちょっと説明をしてみようと思う まず現在の品川 意外と知られてないのだがJ...
学業成績はどんどん上がって行って優等生の仲間入りを果たした修子だったが、もうひとつの面も次第に表面化してくるようになる 当時、彼女の成...
彼女の従弟たちに対する無茶ぶりはこれだけでは無かったようで、たとえば当時彼らは陰で彼女のことを「クマ」と呼び、修子に出会うと「クマが出た!」...
他にはこんな楽しみがあった。それは映画鑑賞 前にも触れたが品川の街にはそこだけで映画館が三軒もあった。当時はまだテレビが普及する前・・・ちな...
祭りの縁日には色々な店が出るがその中で威勢のいい口上を入れながら売る商売がある これを「啖呵売」という 今ではすっかり廃れてしまってか...
江戸時代の徳川幕府の政策で品川には多くの寺や神社があった それは明治維新後も残りさらには太平洋戦争も過ぎ(東京大空襲のとき品川近辺は奇跡的に...
小学校に上がるようになると修子は毎日下駄かぽっくりを履いて学校に通った これは修子だけがとくにそうだったわけではない 当時の小学生の外履きは...
そんな品川の街で修子は伸び伸びと豊かな少女時代を送っていた 相変わらず独りで通っていた銭湯 そこは昔ながらの「湯殿造り」という佇まいで...
日本橋と川崎の間の隠された「二番」とは・・・それではご覧いただこう 元々の「お江戸日本橋」はこういう唄だ お江戸日本橋 七ツ立ち...