仲田修子話 110
修子の曲作りのピッチはかなり早かった 大概の曲は詞も曲も合わせてフルコーラスを10分ぐらいで作ってしまうということが出来た ソングライ...
修子の曲作りのピッチはかなり早かった 大概の曲は詞も曲も合わせてフルコーラスを10分ぐらいで作ってしまうということが出来た ソングライ...
さて、シンガーソングライターとしてライブ活動を始めた修子に対して当時の事務所「ジュダス」はなかなかいい待遇を付けてくれていた ライブ活動は彼...
こうして「ライブミュージシャン」そして「シンガーソングライター」としての道を歩き始めた修子 しかし、その行く手にもさまざまな苦難が待ち受けて...
ハコの仕事を抑えてライブ活動を始めようとする修子に対して、所属事務所の「ジュダス」は協力的だった。 それは修子に対する同情とか共感とかも有っ...
修子が仕事を終えて家に帰ると母親がこう言った。 「幹夫が死んだよ」・・・と 自殺だった 渋谷の駅のホームから電車に飛び込ん...
修子が東北沢のアパートへ移ったとき、それまで別々に暮らしていた母親と弟を呼んで同居し始めたのにはちょっとした訳があった。 当時の修子はディス...
ディスコの仕事は相変わらず続いていた 。その店での修子の人気はもう不動のものになっていた 。たまに自分の休みに他のトラを入れると、どんな人で...
そういうことを頑張って続けていた修子。 いくら体力があったといえ、身体があまりにもきつかった。 ある日ディスコの楽屋に行くと例のフィリピン人...
それから修子はもう1度気を取り直して必死で努力をした。 頭も使った。 たとえば、日本民謡の「大漁歌いこみ」なんて曲をまるでJ,Bのようなリズ...
結果は当然・・・フィリピン人バンドの演奏が終り交代で修子が出て行くと、お客はそれが「インターバル」だと思ったようで皆ダンスフロアーから席に戻...