仲田修子話 152
「日本のパンクロックって今どうなってるんだろう?」 そういう素朴な興味がその当時修子に芽生えてきていた その当時はアメリカで「パティー...
「日本のパンクロックって今どうなってるんだろう?」 そういう素朴な興味がその当時修子に芽生えてきていた その当時はアメリカで「パティー...
その頃から「バンド文化」と言えるようなものが生まれてきた それは主にライブハウスなどから発生していた 音楽をやる若者たちは、それまでメジャー...
70年代の終り近くに「第一次バンドブーム」というのが起きた 前にも書いた「サザンオールスターズ」や「世良正則とツイスト」などというバン...
いよいよ「大久保スタジオ」の営業が始まった 「猫屋敷」のときとは違ってオープンしたからといって、友人や知り合いがぞろぞろやって来てくれ...
矢島はその当時は猫屋敷の仕事を任されていたので基本的には工事には参加してなかったが、それでも店が休みのときや昼間など、時間が空くときは時々現...
スタジオを作る場所はJR総武線の「大久保駅」の目の前、徒歩1分 そこにあったマンションの一室を改装して造るべく、すでに契約も済ませてあった ...
「今度は・・・音楽のスタジオをやろう!」 もちろん他のメンバーとも慎重にミーティングを重ねたことの結果だが、修子はこう考えた 「...
せっかくの皆の汗と涙の結晶をドブに捨てることだけは避けなければならない かつて修子自身が工場労働者から医療→レズビアンクラブ→アニメー...
「ファニーキャッツ」は浜松のビアガーデンへも行った 6月と8月の2回・・・なぜ1ヶ月間が空いてたかというと、そのビアガーデンでは同じバンドが...
その当時流行ってる「ベストヒットナントカ」などに出てくるような新しい曲もどんどんレパートリーにしていかなければならなかったので、バンドで練習...