仲田修子話 102
それから修子はもう1度気を取り直して必死で努力をした。 頭も使った。 たとえば、日本民謡の「大漁歌いこみ」なんて曲をまるでJ,Bのようなリズ...
それから修子はもう1度気を取り直して必死で努力をした。 頭も使った。 たとえば、日本民謡の「大漁歌いこみ」なんて曲をまるでJ,Bのようなリズ...
結果は当然・・・フィリピン人バンドの演奏が終り交代で修子が出て行くと、お客はそれが「インターバル」だと思ったようで皆ダンスフロアーから席に戻...
時には対バンの相手から嫌がらせを受けることもあった。 渋谷あたりの店に行ったときだ。 その店にはキーボードとアコギのDUOが対バンで入ってい...
こういった「異種格闘技」のような仕事はその時だけではない ほかにも当時売り出し中だった「西来路ひろみ」という演歌歌手と対バンになったこ...
こんなこともあった。 ある日渋谷辺りにあったクラブにトラで行ったときのことだ。 その日の対バンがなんと「松尾和子」とそのバンドだ...
ほかにはこんなこともあった。 それはクリスマスの夜だった。 錦糸町にあった(今でもあるが)「ロッテ会館」という大きなビルの中にあった、...
当時修子がそれだけ稼いでいたおかげで、彼女の母も弟も充分な額の生活費や小遣いを受け取っていた。 特に弟はそのお金をかなりあてにしてたので、ろ...
もうすっかりベテランの領域に入っていた修子に、以前の「アーサーベル」のときのようにあれこれ文句をつけるお客はもうほとんど居なくなっていた。 ...
当時、ジャズのスタンダードナンバーを集めた「1001(せんいち)」と呼ばれた譜面集があったが、これは当時ジャズなどで仕事をするミュージシャン...
その2軒の店ともホステスなどは居なくて、六本木という場所柄もあって以前修子が勤めた銀座の「アーサーベル」に比べるとちょっとポップでお洒落な感...